光と空

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【東日本大震災】あの日から8年、それでも前に進まなければいけない。

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岩手県陸前高田市にある唯一津波に耐えた奇跡の一本松/wikipediaより


こんにちはtakaです。

3月11日、毎年来てしまうこの日、そしてこの日が来る度に色んな事を考えさせられます。

あの日から8年、それともまだ8年なのか。

当時の秋田県では震度5強、家にいた俺と家族、ちょうど除雪も一区切りついて、ゆっくりお茶でも飲もうと家に入った頃だった。

揺れてきて地震か、すぐ治まるだろうと思っていたら、どんどん強くなっていき、これは駄目だと、家族みんなで外に逃げ出した。

普通地震なら数秒で治まるという概念だったが、凄まじい揺れが1分以上続いた気がする。

ただ過ぎてしまう1分がこんなにも長く感じた事はない、そして家と度々ブログに登場する作業小屋が横にグラグラ揺れている、こんな光景を見る日が来るなんて想像すらしてなかった。

完全に倒壊を覚悟した、泣き叫ぶ家族、昔から聞いていたが俺の家の周辺は地盤がかなり弱いらしい、だから地震だとそこまで強くなくても強く揺れてしまう場所。

運よく治まり、多少の安堵とともに家に入ったらすぐに停電、水道もチョロチョロしか出なくなり、今出ているうちにポリタンクに溜めなければとすぐに水を確保した。

テレビも付かない、携帯も繋がらない、すぐにラジオに電池を入れて情報を確認した。

とんでもない事が起きたとすぐに分かった、食料は米や缶詰も含め常に常備はしていた、でもいずれ物資不足になると、すぐコンビニに食料を調達しに行った。

停電なものだから店員は電卓計算、コンビニの壁も一部ヒビが入っていた。

食料は確保、電気ストーブは使えないから石油ストーブを出し、夜はろうそくの灯りを頼りにラジオをつけっぱなしで床に入った、電気毛布も使えないし当然恐怖と寒さで一睡も出来なかった。

電気がようやく復旧し、テレビで観た光景はラジオで聞く情報よりも想像を絶し地獄絵図だった。

開いた口が塞がらず、膝から崩れ落ちてしまったほどの光景に涙が止まらなかったのを今も覚えている。

大津波はここまで全てを破壊したのか・・・そしてそれだけではなく原発事故まで・・・。

岩手、宮城、福島は特に津波被害の大きかった地域、あまり報道もされていないが、北海道も青森も、関東の太平洋側にも影響が出たし、勿論他の地域でも様々な被害が報告された。

生活面でもしばらくはスーパーに品が並ばず、ガソリンスタンドも長蛇の列、数週間はそんな経験もした。

被災された方々からすれば、そんな事は苦労のうちに入らないとお叱りを受けてしまうだろう。

いかに人間は便利な生活をしていたのかと、自分の情けなさに苛立ちさえ覚えた。

少しずつではあるが復興も進んでいるのは救いである反面、原発事故などで無理やり避難させられた方など、一度その場を離れてしまった人にとってはもう地元へ住みたいと思わない人もいるようだ。

8年も経てば人の思いは当然変わる、もう避難させられた地域で生活の基盤が出来ている人だっているだろう。

勿論この事は後世に伝えていかなければならないのもある、でもそれは心にしまって置き、良い意味であの日の事は忘れなければいけない事でもあると思う。

人間前を向いていかないと先に進めない、あのような事があったって、その苦しみばかり抱えていては生きてはいけない、だから繰り返すが前に進むしかない。

東北人は我慢強い、諦めない根性もあります、時間はかかっても必ずや元のように良い街にしていってくれると同じ東北人として信じている。

まだ仮設住宅に住まわれている方もいる、少しでもその方々が普通に暮らせるよう、国にはもっと頑張ってほしいし、微力ながら自分の出来る事もあればやっていきたい。

決してこういった事は他人事ではないと感じる、昨年の西日本豪雨や大阪での台風直撃など、完全に災害大国日本となってしまっているし、地震だっていつどこで起きてもおかしくはない。

明日は我が身、何かあっても準備だけはしておかなければと改めて思った。

そして今日だけは被災された方々、そして亡くなられた方の御魂に心を寄り添いたい。

今日はこれで失礼します、最後までお読み頂きありがとうございました。

 

平成31年3月11日、午後2:46分

 

黙祷

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