光と空

日々の生活の中で感じた事、出来事などを綴っていきます

あの日を忘れない【東日本大震災】から7年。

3・11当時の秋田県

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※画像は岩手県宮古市田老町にある「たろう観光ホテル」、約17メートルの高さまで来たという津波により、四階まで浸水、二階までは柱を残して完全に流出した。平成26年に宮古市が震災遺構として取得、保存が決定された。

7年前の今日、まだ寒く小雪が舞う中、春作業に向け雪を崩したりと除雪作業をしていた。

少し休憩するか、家に入りゆっくりしていた。

家族とそれでも春近しだな、なんてたわいもない会話をしていた時に、携帯から聞いた事もないような警報アラームが鳴った。

まさかな・・・と思った瞬間に地震が起きた。

次第に強くなっていく揺れ、自分の人生で経験した揺れ以上になっていき、これは大変だと家族ともども外に逃げ出した。

許容を超える揺れ、これまでブログにアップしてきた作業小屋、そして家が恐ろしいほど横に揺れる、こんな光景は生まれて初めて見た私は家族を抱きしめ「もう止まってくれー!!!」と叫びながら家や小屋が倒壊するかもしれないと覚悟した。

地震だと長くて数秒~数十秒で納まるという概念だった私、それを覆された。

2~3分だろうか、この時間がこれほど長く感じるとは。

色んな事を覚悟したがその揺れも納まり、家族と涙した時間は今も忘れない。

後から分かった結果だが秋田県は震度5強、これがもし震度6以上であったら小屋や家は完全に倒壊しただろう。

深呼吸をし気持ちを落ち着かせる、そして間もなく電気が止まった。

これは水道も止まるだろう、そう察知した私は備えていたポリ缶に水がまだ出ているうちに溜める事にした。

地震から約30分後に水道も止まる、そして情報を得るにもテレビは当然つかない。

ラジオを出し、電池を交換し、いざ付けてみたらけたたましい程の実況。

「震源地は宮城県沖、大津波警報」。

先ほどの地震でとても憔悴しきっていたが、とにかく凄まじい事が起きたと実感する。

いつまで停電が続くかわからない、食事とこれからの事をなんとかしなければと、一旦ラジオを消して生活の段取りをした。

幸いにもガスは使えたので、ごはんを鍋で炊いたり味噌汁を作ったり、冷蔵庫にあるおかずなどでその日の食事はなんとかなった。

こうなれば農家で良かったと思う、米はあるし野菜もストックしていた、缶詰も沢山あったし火も使えるので、食はなんとかなる。

ただし寒い、エアコンやファンヒーターは使えない、石油ストーブを出し暖をとる。夜はろうそくの灯りだけを頼りにした。

停電は約1日半で解消した、水道も最初は錆色の水だったが時間とともに透明に変わっていった。

電気とは水道とは勿論ガスも、これらを使えない事がいかに大変な事か、いかに人間は物に頼って生きているのか思い知った瞬間だった、特に電気が付いた時の嬉しさったらなかった。

震災の映像を見た時に震えが止まらなかった

最大震度7、マグニチュード9.0、日本では過去最大の巨大地震。

ラジオでは凄まじい事が起きているのは聞いていても、やはり映像で見ないとわからない。

そしてテレビを付けたら、そこに映し出されたものはこの世のものとは思えない光景、見た瞬間そのまま膝から崩れ落ちた。

主に東北から関東の太平洋側、津波の破壊力は想像ではこれほどと思っていても、あまりに想像を絶する威力、特に岩手、宮城、福島の映像を見た時に涙しか出なかった。

なんなんだこれは・・・なんなんだよこれは!!!

俺が経験したその時の地震の恐怖や生活などたかが知れていたのだ、大津波により完全に壊滅した同じ東北の太平洋側の地域の方々の気持ちを考えたら情けなくなった。

どれほど怖かっただろう、どれほど泣き叫んだだろう、これは現実か?夢なら覚めてくれ、目の前に映っているのはどれほどの地獄絵図だっただろうか。

津波は全てをのみこんだ、その地域、そこに根付きずっと暮らしてきた家、その中にある沢山の思い出、そして大切な人。

どこまでも広がる被害、津波による火災、関東では地盤沈下や液状化現象、そして起きてほしくはなかった最悪の原発事故。

原発事故により強制的に住む所を離れさせられる、環境が変わる、これほど莫大なストレスはない。

もともと病気をお持ちの方であるとか、環境が変わった事によりそのストレスでの震災関連死も相次いだ。

別に好きで避難してきたのではないのに被災者でもある生徒は学校で「原発菌近寄るな」などといじめにあったとも聞く。

人間ってなんなのか、人の苦しみや傷みもわからないのか。

あれからもう7年、まだ7年と言うべきか

阪神淡路大震災もそうだが、決して風化をさせてはならない。

大人の責任として、後世にこういった事が起きたと伝えていかなくてはならない。

でも悲しいかな人間は時が経つと忘れていってしまう、日本壊滅と言ってもおかしくはないほどの事が起きたのにも関わらず。

だがこういった事だけは忘れてはならないと、自分は肝に銘じておきたい。

東北人は我慢強い、俺の勝手なイメージだが。それでもあの頃のような風景に戻したいと、あの頃と同じような生活がしたいと少しずつ復興し、そしてこんな目に合ってもその地域にいたいと、前よりもっといい町にしたいと前向きに頑張って生活を再建されている方がいる、ただただ頭が下がるばかりです。

震災で亡くなられた方、なんでこんな形で旅立たねばならないのかと思っているでしょう。

もっと生きたかった、もっと大切な人と一緒にいたかった、そう考える間もなくの事だったと思います。

こうやって書いててなんだかもうな、たまんねぇんだわ、たまんねぇんだよほんとな。

  • 震災により亡くなられた方/1万5895人
  • 行方不明者/2539人
  • 今もなお避難生活をされてる方/約7万3千人
  • 震災関連死/3647人

最後に

 

私達も祈ります、御霊よどうか安らかに

 

そしてもっと早く復興が加速し被災された方々が少しでも幸せな生活をおくれますように

 

おかしいな

 

まだこんなにいっぱい雪が残っているのにさ

 

花粉には早いよねこちらの地域

 

さっきから涙と鼻水が止まらなくて

 

平成30年3月11日、午後2時46分

 

黙とう

 

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